藤ノ木古墳
斑鳩藤ノ木古墳第2・3次調査報告書
25,000円(町内在住者に限り20,000円)
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内 容
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金 額
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藤ノ木古墳パンフレット
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| 藤ノ木古墳絵ハガキ(6枚入) |
300円
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| 藤ノ木古墳ネクタイピン |
1,000円
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| 斑鳩町の古墳 |
1,300円
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| 駒塚古墳写真図録 |
200円
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お問い合せ先
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〒636-0114 |
埋蔵文化財
駒塚古墳の発掘調査(平成13年度)
駒塚古墳は国道25号線の南側に所在する前方部を南に向けた前方後円墳です。斑鳩町では平成12年度から駒塚古墳の発掘調査を実施しています。平成13年度は墳丘部分に9ヶ所の調査区を設けて調査を行いました。調査の結果、古墳の規模は全長49m以上、後円部の径約34m、高さ約5.5m、前方部の高さ約2m、くびれ部の幅(推定)約14.5mです。前方部、後円部共に2段に築かれていたことがわかり、斜面には葺石が葺かれていました。また、周濠の存在は確認されませんでした。出土遺物のうち古墳に伴うものでは埴輪や土師器などがあります。埴輪は非常に少ないことから墳頂部など一部だけに使用されていたと考えられます。土師器には二重口縁壷と呼ばれるおまつり用の壷があります。古墳の形態や出土遺物などから前期後半(4世紀後半)に造られた古墳である可能性が高まりました。駒塚古墳の調査は斑鳩町の古墳を考えるうえで貴重な結果をもたらしました。
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西里遺跡 酒ノ免遺跡 東福寺遺跡 駒塚古墳 調子丸古墳斑鳩大塚古墳 瓦塚古墳群 仏塚古墳 御坊山古墳群史跡三井 若草伽藍跡 法輪寺 法起寺 史跡中宮寺跡史跡三井瓦窯跡 上宮遺跡 |
法隆寺 金堂の薬師如来像の光背銘や「法隆寺伽藍縁起并流記資財帳」等によりますと、用明天皇の病気平癒を祈って寺と仏をつくることを発願しましたが、そのまま崩御されたことから推古天皇と聖徳太子がその願いを引き継ぎまして建立した寺だと伝えられています。 しかし、法隆寺につきましては、明治時代以降現在に至るまで続いております「法隆寺再建・非再建論争」として未だに決着しているわけではありませんが、聖徳太子により建立された「斑鳩寺」は現在の法隆寺西院ではなく、その南東方向にある「若草伽藍跡」ではないかという説が有力で、現在の法隆寺西院は、『日本書紀』の天智天皇九(670)年に、斑鳩寺が焼失して間もなく建てられた寺院と考えられています。 奈良時代になり、聖徳太子の斑鳩宮の荒廃ぶりを嘆き、孝謙天皇により建立されたのが「夢殿」で、この夢殿を中心とした地域を法隆寺東院と呼ばれています。 法起寺 岡本集落の南側に所在します。別名を岡本寺、池尻寺とも呼ばれています。建創については三重塔の露盤銘から、聖徳太子の遺言により太子の死後、山背大兄王により岡本宮を寺にしたと伝えられています。建創当初の建物は三重塔のみですが、日本最古の三重塔で国宝に指定されています。また、平成5年に法隆寺と共に日本で最初に世界文化遺産に登録されました。 法輪寺 斑鳩の飛鳥時代寺院として著名な法輪寺ではありますが、その創建については、『聖徳太子伝私記』の聖徳太子の子である山背大兄王と、その子の由義王が、聖徳太子の病気平癒を願って建立したとする説と、『上宮聖徳太子伝補闕記』の斑鳩寺が焼失したことから、百済聞法師等三人が建立したとする二つの説があります。 中宮寺 法隆寺東院伽藍の東北に所在する聖徳宗の寺院です。大和三門跡尼寺の一つで中宮寺御所、斑鳩御所とも呼ばれていました。創建は聖徳太子の母である穴穂部間人(あなほべはしひと)皇后の没後に皇后の宮を改めて寺院にしたと伝えられています。現在の場所には室町時代末頃に移転したと伝えられていて、当初は現在の場所から400m東方に位置していました。有名な弥勒菩薩半跏思惟像や聖徳太子の没後、妃である橘大郎女が太子の冥福を祈って采女たちにつくらせた天寿国曼荼羅繍帳は共に国宝です。 吉田寺 吉田寺は、小吉田の集落の北方にあり、別名「ぽっくり寺」とも呼ばれています。 寺の縁起としましては、天智天皇の妹で孝徳天皇の后であった間人皇女の墓を祀る寺であったところに、永延二(988)年、恵心僧都がこの地に来られて、寺として整えたといわれています。 本尊阿弥陀如来坐像は座高515cmの丈六仏であり、平安時代の藤原期の作で国指定重要文化財の指定を受けています。 多宝塔は寛正三(1462)年の銘があり、国指定重要文化財の指定を受けています。 本堂の西側に接してある古墳状の高まりは、『延喜式』にある「龍田清水墓」と呼ばれている間人皇后の墓と伝えられています。この古墳状の高まりが古墳であるかどうかについては、発掘調査が実施されていないので詳細については不明ですが、古墳であったとしても、『日本書紀』天智天皇六年二月条によれば、間人皇后は母にあたる斉明天皇と越智丘上陵に合葬されたとあり、また『和州旧跡幽考』によれば、吉田寺南に二町ばかり南の田の塚を想定されているなどから、詳細については不明と言わざるをえません。 仙光寺 清涼山と号し、北庄の集落の西北部に所在し、宗派は融通念仏宗で由緒は不祥です。本尊の阿弥陀如来立像は全身に金泥漆箔を施しています。別に安置する十一面観音立像は一木造で彩色を施しています。平安時代の作で国の重要文化財に指定されています。 融念寺 神南集落のほぼ中央に所在し、宗派は融通念仏宗で由緒は不詳です。本尊は一木造の阿弥陀如来立像で彩色を施していて、室町時代初期のものとされています。当寺の北に接して旧神南寺の三室堂、俗に下堂、または地蔵堂といわれた一堂があり、ここに安置されていた地蔵菩薩立像は平安時代初期の作で右手で衣の端をつまむ姿をしています。また、聖観音立像は延久元(1069)年7月11日の造像銘があります。この2体の仏像は共に国の重要文化財に指定されています。これらの仏像は、一時期奈良国立博物館に寄託されていましたが、現在この場所には新たに建立された恵宝殿があり、2体の仏像はここに安置されています。 勝林寺 勝林寺は現在高安の集落内に所在しますが、安堵町に所在した「高安寺」の名をついでおりますので、高安寺の額が掲げてあります。 勝林寺には、現在奈良博物館に寄託されてはおりますが、高安集落の東にあります天満神社に隣接してあった「大日堂」に安置されていた木造薬師如来坐像と木造十一面観音立像と木造聖観音立像があり、これらはすべて国指定重要文化財です。木造薬師如来坐像は平安時代の藤原期の作であり、旧高安寺の本尊であったが明治時代にこちらに移されたと言われています。木造十一面観音立像は本尊と同じく平安時代の藤原期の作で、木造聖観音立像は平安時代初期の作といわれています。 また未指定ではありますが、木造大日如来坐像は大日堂の本尊であり、鎌倉時代の作と言われています。 大日堂の礎石につきましては現在確認できませんが、円形削り出しのある古代寺院の礎石の様であったと言われています。 伊弉冊命神社 五百井の集落の西北に所在し、祭神は伊弉冊命です。安永6(1777)年銘の奉献の石灯の銘文にも見られるように白山大権現とも称し、また、明治7(1874)年の大和国郷村社取調帳には白山神社と記されていました。本殿は一間社春日造の桧皮葺で朱塗に極彩色を施しています。この本殿は昭和29年、国の重要文化財に指定されました。昭和45(1954)年に実施された本堂の解体修理により、天正8(1580)年の墨書が見つかったことから桃山時代の建立であることがわかりました。 素盞鳴神社 興留集落に所在し、祭神は須佐男之命です。由緒は不祥ですが、元は村社でありました。本殿は一間社春日造の桧皮葺です。室町時代後期のもので県の重要文化財に指定されています。境内には他に八王子神社があります。 龍田神社 古代の「竜田道」であり、江戸時代に奈良から大坂へ向かう幹線道路の一つであった「奈良街道」添い龍田の町並みのほぼ中央にあります。祭神は天御柱神・国御柱神で風神です。現在の三郷町にあります「竜田神社(大社)」は、『延喜式』にある「竜田坐天御柱国御柱二座」のことで、この本宮に対して、斑鳩の龍田神社は新宮(新龍田)と呼ばれて、現在も秋の祭礼等にその関係が続いております。 しかし神社のはじまりは、神社北方の「御廟山(御坊山)」と呼ばれた丘陵が竜田における神南備であり、御神体として祀られていたのが、その南麓へ移ったものと考える説もあります。 中世には、竜田の町は竜田市として繁栄し、西宮より商売繁盛の神としての恵比須神の勧進もありました。また法隆寺との関係も深く、別当坊を神社に置いておりまして、秋の祭礼にし僧侶も供し竜田会または竜田三十講と称されて、法会を勧修していました。 竜田神社に隣接して、神仏習合の流れになかで神宮寺が建立され、社地の東側には塔や経堂があり、北坊など七つの坊があり、拝殿の東側の現在のたつた保育所のある場所には胎金堂(大日堂)があり、醍醐に移されたと伝えられている。また、社地の西方には鐘桜、南西方には観音堂がありました。図によると「伝灯寺」と記されていますが、寺名は文献史料で確認できていません。そして、寺としては神社の北東方向にあります浄慶寺に移ったといわれています。 |
太子道 聖徳太子が斑鳩宮から飛鳥まで通われたとされる斜行道路です。斑鳩と飛鳥を最短距離で結ぶために整備された道路で、今で言う国道に相当します。別名筋違道(すじかいみち)とも呼ばれています。今でも三宅町から田原本町にかけてその聖徳太子に関係する数多くあります。 業平道 平安時代の歌人であり、「伊勢物語」の主人公で美男で知られている在原業平が現在の櫟本(天理市)から高安(八尾市)の河内姫のもとへ通ったと伝えられている道です。 |
法隆寺地域の仏教建造物 平成5年12月11日、「法隆寺地域の仏教建造物」が「姫路城」などとともに世界遺産リストに登録されたことから、国内で初めての世界遺産が誕生しました。 法隆寺地域とは、文化財保護法による国史跡指定の「法隆寺旧境内」と「法起寺境内」の合計15.3ヘクタールのコアゾーンと、それらをとりまく形で、「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」による歴史的風土保存区域と都市計画法に基く「奈良県風致地区条例」による風致地区の指定がなされている範囲の合計570.7ヘクタールのバッファゾーンを指し、それらを合計した五百八十六ヘクタールについては、法隆寺とともに行政的には文化財保護と都市整備の両セクションとによって文化財の保存や歴史的環境の保全を図っております。 この登録に係る法隆寺の普遍的価値としては、国宝の金堂や五重塔をはじめとする世界最古の仏教木造建造物に、中国や朝鮮から伝えられその故地には残存していない七世紀の文化を垣間見ることができるだけでなく、奈良時代建立の東院夢殿をはじめ、江戸時代の建築様式をよく残している子院など、約千四百年間にわたる多くの仏教的建造物が存在し、現代にその歴史や文化を伝えている点にあります。まさに、我が国における建造物の博物館といってもよいでしょう。 ところで、斑鳩町の町民憲章には「歴史と文化を大切にし、貴重な遺産を次の世代に伝えます」と掲げておりまして、世界遺産写真展や文化講演会等の開催のほか、世界ユースフォーラムでの協力や世界遺産会議の開催など世界遺産に対する啓発活動といったソフト面でのサポートに努める一方で、法隆寺と史跡藤ノ木古墳とを結ぶルートに対する歴史環境に適した道路整備や、法起寺周辺においては電線の地中埋設化事業を全国的でもいち早く取り組み、ハード面での歴史的景観の保全に努めております。 最後に、平成15年はユネスコへの登録十周年記念の年であり、斑鳩町としましても記念講演会等の記念事業を実施しております。そして、日本初の世界文化遺産「法隆寺地域の仏教建造物」を有する町としての役割を果たしてまいりたいと考えております。 |
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国指定文化財
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区分
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名称
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数量
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建造物
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法隆寺金堂
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一棟
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建造物
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法隆寺中門
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一棟
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建造物
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法隆寺五重塔
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一基
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建造物
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法隆寺東院夢殿
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一棟
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建造物
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法隆寺上御堂(上堂)
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一棟
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建造物
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法隆寺大講堂
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一棟
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建造物
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法隆寺鐘楼
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一棟
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建造物
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法隆寺経蔵
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一棟
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建造物
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法隆寺廻廊
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二棟
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建造物
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法隆寺東院南門(不明門)
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一棟
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建造物
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法隆寺東院四脚門
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一棟
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建造物
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法隆寺東院礼堂
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一棟
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建造物
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法隆寺東院廻廊
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二棟
|
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建造物
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法隆寺東院鐘楼
|
一棟
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建造物
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法隆寺東院伝法堂
|
一棟
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建造物
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法隆寺東院舎利殿及び絵殿
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一棟
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建造物
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法隆寺南大門
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一棟
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建造物
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法隆寺西円堂
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一棟
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建造物
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法隆寺聖霊院
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一棟
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建造物
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法隆寺食堂及び細殿
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二棟
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建造物
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法隆寺東大門
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一棟
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建造物
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北室院本堂
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一棟
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建造物
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法隆寺地蔵堂
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一棟
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建造物
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法隆寺三経院及び西室
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一棟
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建造物
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法隆寺新堂
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一棟
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建造物
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北室院表門
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一棟
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建造物
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宗源寺四脚門(勧学院表門)
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一棟
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建造物
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法隆寺東室
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一棟
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建造物
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法隆寺妻室
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一棟
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建造物
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福園院本堂
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一棟
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建造物
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法隆寺綱封蔵
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一棟
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建造物
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法隆寺大湯屋
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一棟
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建造物
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法隆寺大湯屋表門
|
一棟
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建造物
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西園院客殿
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一棟
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建造物
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西園院上土門
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一棟
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建造物
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寶珠院本堂
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一棟
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建造物
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法隆寺西院大垣
|
三棟
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建造物
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法隆寺西院東南隅子院築垣
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二棟
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建造物
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法隆寺西院西南隅子院築垣
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二棟
|
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建造物
|
法隆寺東院大垣
|
三棟
|
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建造物
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法隆寺薬師坊庫裡
|
一棟
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建造物
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法隆寺西園院唐門
|
一棟
|
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建造物
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法隆寺北室院太子殿
|
一棟
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建造物
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法隆寺中院本堂
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一棟
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建造物
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旧富貴寺羅漢堂
|
一棟
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建造物
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律学院本堂
|
一棟
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絵画
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絹本著色蓮池図
|
一隻
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絵画
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絹本著色星曼荼羅図
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一面
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絵画
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絹本著色扇面古写経
|
一幅
|
|
絵画
|
絹本著色孔雀明王像
|
一幅
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|
絵画
|
絹本著色毘沙門天像
|
一面
|
|
絵画
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絹本著色五尊像
|
一幅
|
|
絵画
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絹本著色十六羅漢像
|
一双
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絵画
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絹本著色聖徳太子像
|
一面
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絵画
|
金堂内陣旧壁画
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二十面
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絵画
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金堂外陣旧壁画
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十二面
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絵画
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五輪塔初層旧壁画
|
十八面
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絵画
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絹本著色聖皇曼荼羅図
|
一幅
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彫刻
|
木造観音菩薩立像(百済観音)
|
一
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|
彫刻
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木造観音菩薩立像(夢殿安置)
|
一
|
|
彫刻
|
銅造薬師如来坐像(金堂安置)
|
一
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|
彫刻
|
木造四天王立像(金堂安置)
|
四
|
|
彫刻
|
木造観音菩薩立像(九面観音)
|
一
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|
彫刻
|
銅造観音菩薩立像(金堂薬師如来脇侍)
|
二
|
|
彫刻
|
木造観音菩薩立像
|
一
|
|
彫刻
|
銅造観音菩薩立像(夢違観音)
|
一
|
|
彫刻
|
金銅阿弥陀三尊像
|
三
|
|
彫刻
|
木造伝観勒僧正坐像
|
一
|
|
彫刻
|
木造薬師如来及両脇侍坐像(講堂安置)
|
三
|
|
彫刻
|
木造釈迦如来及両脇侍坐像(上堂安置)
|
三
|
|
彫刻
|
塑像薬師如来坐像
|
三
|
|
彫刻
|
塑像梵天、帝釈天立像
|
二
|
|
彫刻
|
木造弥勒菩薩半跏像
|
一
|
|
彫刻
|
塑像道詮律師坐像(所在夢殿)
|
一
|
|
彫刻
|
木造毘沙門天、吉祥天立像(金堂安置)
|
二
|
|
彫刻
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木造四天王立像(上堂四天王)
|
四
|
|
彫刻
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木像梵天、帝釈天立像(所在食堂)
|
二
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|
彫刻
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木造聖徳太子山背王、殖栗王、卒末呂王、恵慈法師坐像(聖霊院安置)
|
五
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彫刻
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乾漆薬師如来坐像(西円堂安置)
|
一
|
|
彫刻
|
木造地蔵菩薩立像
|
一
|
|
彫刻
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木造薬師如来両脇士像(新堂安置)
|
三
|
|
彫刻
|
木造聖観音立像(夢殿観音前立)
|
一
|
|
彫刻
|
木造如意輪観音坐像(聖霊院安置)
|
一
|
|
彫刻
|
木造地蔵菩薩立像(聖霊院安置)
|
一
|
|
彫刻
|
木造四天王立像(新堂安置)
|
四
|
|
彫刻
|
金銅釈迦如来文殊菩薩像一座
|
二
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|
彫刻
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金銅薬師如来坐像(伝峰薬師胎内仏)
|
一
|
|
彫刻
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乾漆阿弥陀如両脇士像
|
三
|
|
彫刻
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金銅誕生釈迦仏立像、観世音菩薩立像
|
六
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彫刻
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厨子入銅板押出阿弥陀三尊及僧形像
|
一基
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|
彫刻
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銅板押出如来及両脇侍立像
|
一面
|
|
彫刻
|
銅板舟形後屏
|
一面
|
|
彫刻
|
塑像四天王立像
|
四
|
|
彫刻
|
木造阿弥陀如来坐像
|
一
|
|
彫刻
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木心乾漆弥勒菩薩坐像
|
一
|
|
彫刻
|
木造文殊普賢菩薩立像
|
二
|
|
彫刻
|
木造日光月光菩薩立像
|
二
|
|
彫刻
|
乾漆観音勢至菩薩立像
|
二
|
|
彫刻
|
木造観音勢至菩薩立像
|
二
|
|
彫刻
|
木造舞楽面
|
三十五面
|
|
彫刻
|
木造菩薩面
|
三面
|
|
彫刻
|
木造善女竜王立像
|
一
|
|
彫刻
|
木造阿弥陀如来坐像(三経院安置)
|
一
|
|
彫刻
|
木造十二神将立像(西円堂安置)
|
十
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|
彫刻
|
厨子入木造聖徳太子坐像(所在御絵殿)
|
一
|
|
彫刻
|
木造弥勒菩薩坐像
|
一
|
|
彫刻
|
木造千手観音立像(所在地蔵堂)
|
一
|
|
彫刻
|
木造如意輪観音坐像
|
一
|
|
彫刻
|
木造阿弥陀如来坐像(所在夢殿)
|
一
|
|
彫刻
|
木造普賢延命坐像(所在金堂)
|
一
|
|
彫刻
|
木造釈迦如来坐像
|
一
|
|
彫刻
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木造弥勒仏坐像
|
一
|
|
彫刻
|
木造阿弥陀如来坐像
|
一
|
|
彫刻
|
木造天鼓雷音如来坐像
|
一
|
|
彫刻
|
木造薬師如来坐像
|
一
|
|
彫刻
|
木造釈迦如来坐像
|
一
|
|
彫刻
|
木造薬師如来坐像
|
一
|
|
彫刻
|
金銅釈迦如来立像
|
一
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県指定文化財
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区分
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名称
|
数量
|
|
建造物
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法輪寺 |
一棟
|
|
彫刻
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木造釈迦如来坐像 | 一 |
| 建造物 | 素盞鳴神社本殿 | 一棟 |
| 工芸 | 剣 | 一口 |
| 工芸 | 阿弥陀三尊繍仏 | 一幅 |
| 天然記念物 | ソテツの巨樹 | |
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史跡
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仏塚古墳
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町指定文化財
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区分
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名称
|
数量
|
|
史跡
|
駒塚古墳 |
|
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史跡
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調子丸古墳 |
斑鳩町は、法隆寺や藤ノ木古墳に代表されるように歴史と文化の豊かなまちです。
その歴史のはじまりは、JR法隆寺駅の北方における発掘調査において旧石器が採集されていることから、その歴史は後期旧石器時代にさかのぼります。そういった歴史を背景に、町内には文化財が多くあります。
発掘調査などからは、縄文時代や弥生時代の斑鳩は比較的小さな集落が点在しているといった状況であったようですが、特に藤ノ木古墳に代表される古墳時代後期と呼ばれている6世紀後半頃から、聖徳太子が飛鳥地方から斑鳩へ移り住んだ飛鳥時代にかけては、斑鳩宮や岡本宮などの諸宮のほかに、斑鳩寺(若草伽藍跡)や中宮尼寺が建立されて、当時の宮都であった飛鳥地域と遜色のない文化の華がひらきました。その後、法起寺や法輪寺の建立の着手がありましたが、蘇我氏の襲撃による上宮王家の滅亡により、完成は見なかったようです。
明治時代以降現在に至っても「法隆寺再建・非再建論争」の決着はしていないとの考えもありますが、斑鳩寺の焼失後と考えられる七世紀後半の世界最古の現存する木造建物群を有する法隆寺の建立により、中宮寺、法起寺、法輪寺と日本を代表する古代寺院の建設が本格的に再開し、白鳳期の仏教文化がひときわ輝きを放ちました。
その後、奈良時代に斑鳩宮跡に夢殿で有名な法隆寺東院の建立をはじめ、特に法隆寺におきましては、現在に至るまで綿々と仏教文化を伝えられてきましたことから、「法隆寺地域の仏教建造物」として、国内初の世界文化遺産となっております。
現在、町内に所在する文化財のうち、文化財としての学術上価値の高いものとしまして、指定を受けている文化財は、国宝41件、国指定重要文化財175件、国史跡6件、国登録有形文化財19件、県指定文化財7件、町指定文化財2件を数え、これらの他にもまだ多くの文化財が町内にはあります。





